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正珠爾礼布(ジョンジュルジャップ)の陸士卒業期と、こうえい。

■正珠爾礼布(ジョンジュルジャップ)中校の日本名が「田中正」なのが、頭で判っててもなんだか納得行かない(失礼だろ)。いや、もっと凝った名前つけそうって意味で。

川島芳子(左)と奥さんと一緒の写真のジョン、テライケメン
『虹色のトロツキー』でのジョン中校って、やっさんはイケメン度そのままで書いてるよね。
あれのジョンはシャアみたいだ…!
溥儀の『わが半生』にも撫順刑務所時代に兄弟で出て来てたような気がする(うろおぼえ)

■それはともかく。
ジョンは陸士何期卒なんだっけって気になった。
Twitterでアドバイスいただき、どうも40期あたりということがわかる。
なのでとりあえず陸士40期を見てみたけど、名簿には一応載ってないので留学生枠っぽい。
日本名を名乗ってた時期だと思ってたので、田中正も探すが該当なし。

そのかわり、39期に中華民国留学生20期生の黄瀛がいるので、その一期下の留学生21期とアタリついた!
黄瀛は日中ハーフの詩人。
与謝野鉄幹夫婦や高村光太郎に師事し、陸士中華民国留学生20期に。
国民党軍人になり、終戦後は友達の草野心平はじめ日本軍人の大陸帰還を世話したっていう人。
もっと世に出るべきやと思うよー文化や詩史的にも。→参考頁
(自分メモ:岡村民夫「詩人黄瀛の光栄―書簡性と多言語性―」
…全然違うと思うんだけど、この題名…ギャグ…?「こうえいのえいこう」…そんなこと思ってごめんなさいorz)

■で、『康徳元年版満洲国名士録』を探す。
1906年生まれ、父・巴布礼布将軍の戦死後に旅順第二小を卒業し来日。
25年府立六中卒。加賀乙彦先生の先輩だ!
中学時代は日本名:川島成信を名乗る。で、肝心の陸士では漢名:韓紹宏を称してたと云う記述が。28年には満鉄入社。
なんと。そりゃ見つからんわ。本名と田中正で探してたもん。変名で入ってたとは知ってたが漢名とは。
でもって『清末民初留日陸軍士官學校人名簿』韓紹宏を探したら無事19期に韓紹宏の名があった。
入学卒業年も一致するので40期相当。兵科は歩兵。
1928年卒業の中華民国留学生19期だったので21期
でなかったし、黄瀛の一期上だった。

やー…敗因は また別名義の変名 だった事orz
ものを調べるには調べ方の基本を抑えないと面倒くさいことになるよと言うこと。
として、昔と云っても近代は特に、意外にちょっと調べたら誰にでも判っちゃうことがある程度沢山あるから、歴史物書くのって難しいよねー。
よく調べないとフィクションて言い訳じゃ済まされないほどボロ出るもんねーっつー話。

あと人名辞典だいじ。まじだいじ。だって住所電話番号家族構成書いてある人まであるもん。
ちなみにジョン、実兄より記述が多かった。



タグ: 陸軍 満洲・大陸
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