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帰らざる友のおもいで

■「帰らざる友のおもいで 名古屋陸軍幼年学校第47期生第三訓育班」入手。
えーっと…これ。
47期一年生の時に、担任の前田生徒監(S18年9/24に第十四方面軍司令部転出、レイテ・オルモックで戦死)へ送ったハガキ集!!え、これ思いっきりプライベート…!

ハガキ集の体裁は、表裏両面を一面にしてコピー製本したもの。
生徒監殿に宛てた住所が、幼年学校・(たぶん)赴任先の住宅・(おそらく)実家っぽいとこ、と三ヶ所もあって、皆どこに出したらいいのか混乱してたのかな…ばらばらである。

■前田生徒監はお名前が「矗」と書いて「さかん」と読まれるらしい。陸士48期。
ううーんそうか、レイテだったのか。
ってあれか、長嶺少佐と同じ時期に幼年学校生徒監から転出された組か、そのあたりの人かなー。
と思って見てみた。
前田生徒監はS19.9に第14方面軍司令部付でレイテ転出するんだけど、長嶺秀夫少佐(東幼生徒監からレイテ)と同じ時期に転出。
この長嶺さんの証言の『郡上踊りの男』って…名幼と郡上近いし…でも違うよね…あれ…?細切れだから証言の詳細分からん
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100071_00000

三訓は前田生徒監のあと後任がなくて二訓制になったらしい。
ハガキにはよく風景などが絵が描いてあるんだけど、それは生徒監殿の指示らしい。
写生も軍人に必要だからだそう。幼年学校って音楽の授業もあるしね。

■それから題名の『帰らざる友のおもいで』はやっぱり加賀乙彦先生のあの『帰らざる夏』からだった。
ので、同期生にも受け入れられて好評だったと言うことだろう。…うん。
…ていうか、このあたりの人は実名萌えでもいいんだろうか。
一応この時期は軍籍にあるから軍人として見ていいよね…うん。
ちなみに加賀先生は二訓のフランス語専攻。

昭和18年の星の生徒であるエリート軍人のたまごくんたちの夏休みと、彼らと時代の雰囲気がよくわかるるる。

■てかこれがまた…むちゃくちゃ萌えるんだが…!担任教官へのはがきヤバイはがき!
かわいすぎる…!


鹿間くん…絵もきちんとまとめてるし達筆だし文章もしっかりしてはる…!!
でも、最後のとこに一箇所だけ誤字して消してるとこがかわいさ際立ってる。
このように『家に着きました』報告をみんな出してるみたい。


「夏の目標はアイスクリームの誘惑に負けず一個も食べないことです」おいw増岡ああwww
こういう茶目っ気が少年だのう。
海軍さんの街横須賀にいるってことも決戦色濃いって感じたのかなー。



『毎日漫画ヲ 読ンデ愉快二 生活シテ居リマス』野本ぉwwww
このカタカナと漢字が(現代人のわたしには)おちょくってる感じがしていいなこれw
しかもフクちゃんw
まあ云うても勉強してるだろうけどねこのこたち!
こういうジョークを生徒監殿に出せるくらい、和気あいあいであったのだな、と推察できる。
まだ18年だし、それに中学生だからねえ。


お気楽でいられないこもいる。
雨に降られた後、銃剣のさやにサビ発見した中村君!!!
すっごい反省してる…武士の魂にいいい!!って。しかし素直だ。
すっごい手入れし直したんだろな…あんまり怒られてないといいな…。
ていうか優しげな達筆…!

謝罪系の手紙では他に…夏休み中に『宜 戦 の 詔 勅 』を な く し ま し た!って子とかいるんだけど…!
え、ちょ…もっと大丈夫だったのか…?!!新学期早々怒られなかったかな…心配!!
でもたのしく遊んでまーす!みたいな事も書いてるから無問題か?
あと内容はわからないけど、「不心得なる行為」に「ご寛大なる御処置」ありがとうございましたああ!ってほんとに凄い謝ってるこもいる。
なにしたんや…。

あと、ちょうエリートのたまごが「冬休み中に学校へ残留だし(詳細不明)、尻上がり(逆上がりのことか)も出来ないので心配です」って担任に送ってるううう!
自分メモ:休日の 鉄棒に来て 少年が 尻上がりに世界に入って行けり 佐藤通雅『水の涯』
まさにこの世界だなあ…佐々木くん。さっきみつけた http://j.mp/bDay0G

ヤバイ、どのはがき見てもにこにこするよう!買って良かった!!

■あと、これだけS18~19年正月の投函済みハガキが集まってる資料ということも色々興味深い。
担当員の書く「閲」の(スタンプでなく肉筆)の酷さw
一生懸命描いたであろう絵の上に書かないであげて下さいよ…。
同じ筆跡でわざわざ「〇〇様方」の苗字書き忘れ・差出人名の下に「拝」って書き足してる…!いらん親切!

まあまた今度ほかのもご紹介。
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  • 正珠爾礼布(ジョンジュルジャップ)の陸士卒業期と、こうえい。

    ■正珠爾礼布(ジョンジュルジャップ)中校の日本名が「田中正」なのが、頭で判っててもなんだか納得行かない(失礼だろ)。いや、もっと凝った名前つけそうって意味で。

    川島芳子(左)と奥さんと一緒の写真のジョン、テライケメン
    『虹色のトロツキー』でのジョン中校って、やっさんはイケメン度そのままで書いてるよね。
    あれのジョンはシャアみたいだ…!
    溥儀の『わが半生』にも撫順刑務所時代に兄弟で出て来てたような気がする(うろおぼえ)

    ■それはともかく。
    ジョンは陸士何期卒なんだっけって気になった。
    Twitterでアドバイスいただき、どうも40期あたりということがわかる。
    なのでとりあえず陸士40期を見てみたけど、名簿には一応載ってないので留学生枠っぽい。
    日本名を名乗ってた時期だと思ってたので、田中正も探すが該当なし。

    そのかわり、39期に中華民国留学生20期生の黄瀛がいるので、その一期下の留学生21期とアタリついた!
    黄瀛は日中ハーフの詩人。
    与謝野鉄幹夫婦や高村光太郎に師事し、陸士中華民国留学生20期に。
    国民党軍人になり、終戦後は友達の草野心平はじめ日本軍人の大陸帰還を世話したっていう人。
    もっと世に出るべきやと思うよー文化や詩史的にも。→参考頁
    (自分メモ:岡村民夫「詩人黄瀛の光栄―書簡性と多言語性―」
    …全然違うと思うんだけど、この題名…ギャグ…?「こうえいのえいこう」…そんなこと思ってごめんなさいorz)

    ■で、『康徳元年版満洲国名士録』を探す。
    1906年生まれ、父・巴布礼布将軍の戦死後に旅順第二小を卒業し来日。
    25年府立六中卒。加賀乙彦先生の先輩だ!
    中学時代は日本名:川島成信を名乗る。で、肝心の陸士では漢名:韓紹宏を称してたと云う記述が。28年には満鉄入社。
    なんと。そりゃ見つからんわ。本名と田中正で探してたもん。変名で入ってたとは知ってたが漢名とは。
    でもって『清末民初留日陸軍士官學校人名簿』韓紹宏を探したら無事19期に韓紹宏の名があった。
    入学卒業年も一致するので40期相当。兵科は歩兵。
    1928年卒業の中華民国留学生19期だったので21期
    でなかったし、黄瀛の一期上だった。

    やー…敗因は また別名義の変名 だった事orz
    ものを調べるには調べ方の基本を抑えないと面倒くさいことになるよと言うこと。
    として、昔と云っても近代は特に、意外にちょっと調べたら誰にでも判っちゃうことがある程度沢山あるから、歴史物書くのって難しいよねー。
    よく調べないとフィクションて言い訳じゃ済まされないほどボロ出るもんねーっつー話。

    あと人名辞典だいじ。まじだいじ。だって住所電話番号家族構成書いてある人まであるもん。
    ちなみにジョン、実兄より記述が多かった。



    タグ: 陸軍 満洲・大陸
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  • ひげとへいたい

    ■髭については明治の「紳士の嗜み」から「兵隊さんの髭」への変化がオモシロイと思う。

    兵隊(将校とかじゃなくて兵隊)の髭って「非日常の象徴」になって、兵隊さんの髭ネタめっちゃ多いし。
    ソース:南支で出してた検閲一切なし(!)火野葦平がいた、南支派遣軍報道部編輯の雑誌『兵隊(へいたい)

    徴兵と言う制度も関係してるけど、少なくとも昭和期では特に若い男性にとって「髭=剃るもの」と一般では膾炙してたんだと思う。
    軍隊生活・戦争って非日常へ入ってゆくある種の緩衝材(それの存在と共に溶け込んでゆくための媒介)として、髭は否応なく作用してたって言うか(自然に伸びるし)。

    またそれを利用して、『軍』『軍人』の権威付けとして作用させてたとこもあるんじゃないかなー。と思ったり。

    『第一線の戦地って状況下で若いペーペーの人間に髭を許した(特に戦況激化してない余裕あるときからみんな髭生えてる)時の本人たちの自意識』と言う意味で、ある程度社会的に偉い人の髭は民間も軍も共通だと。

    お手軽権威付け。むーちょっと考えてみる。


    タグ:陸軍
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  • 226事件時の市電上京メモ

    ■いや、事件の朝から数日間どうなってたのかな。っていう。
    例えばお勤めのひととかどこで足止めとか、逆に泊まりこみで仕事明けの官庁街のひととか、どうしたのかなっていう。
    26日の朝8時くらいに池袋の自宅から出て、新宿のおばさんちに行ってから、昨日から泊りがけだった内務省にお勤めの父親に会いに行きたい人(電話なんて引いてないよ!)の場合を中心にこんな感じかメモ。(随分ピンポイントな例である)

    ・どうやら市電が止まったのは29日っぽい。
    ・26日の昼には、三宅坂一帯だけが交通遮断してた模様。
    ってことは朝に池袋から省線電車で新宿乗り換え、新宿線で新宿三丁目の叔母の家に寄って、そのまま新宿線で半蔵門で足止めな感じ?
    ・そういや半蔵門で誰何する写真があった。
    すると…半蔵門駅あたりから歩こうとして、南御堀端警備は昼まで雪の上で仮眠してる安藤隊だから「あぶないから早く帰れ」って諭されるか、内務省へ兵隊さんに連れてって貰うかなー。

    つまり。以下仮説。
    s11年2月26日。朝、池袋出発・省線電車で新宿→市電新宿線で新宿三丁目の叔母の家→新宿線で半蔵門→半蔵門線桜田門まで乗継予定が半蔵門で通行止。
    雪上仮眠中の歩三安藤隊に事情を話し、父親の勤務先(内務省)へ連れて行って貰う。
    昼食べて給仕らと共に省を出る感じか。
    安藤中隊長に「寒いとこ歩いて来たのに、市電止めててごめんなー。でもな、どうしてもやらなきゃならん仕事なんだよ」って頭撫でられて、図嚢から取り出した金平糖を貰う、とか妄想するじゃん。(こんなこと、ないです)

    ついでに、参謀本部附少佐の従兵。原隊は歩一。
    s11年2月26日2時。他隊で非常呼集があった事は知ってる。
    早朝ざわざわしてる連隊から参本に行くも入れず。少佐の自宅に走って報告。少佐に従い憲兵本部へ。
    翌27日に軍人会館の戒厳司令部へ移動。って感じかなー。

    まあうん、なんとなくどんなかんじに人が動くのかな、って具体的に考えてみると楽しいし、地理・状況などがなんとなくわかってくるような気もする。


    参考:日本鉄道旅行地図帳 5号 東京―全線・全駅・全廃線 (5) (新潮「旅」ムック) とか

    タグ:陸軍
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