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226事件時の市電上京メモ

■いや、事件の朝から数日間どうなってたのかな。っていう。
例えばお勤めのひととかどこで足止めとか、逆に泊まりこみで仕事明けの官庁街のひととか、どうしたのかなっていう。
26日の朝8時くらいに池袋の自宅から出て、新宿のおばさんちに行ってから、昨日から泊りがけだった内務省にお勤めの父親に会いに行きたい人(電話なんて引いてないよ!)の場合を中心にこんな感じかメモ。(随分ピンポイントな例である)

・どうやら市電が止まったのは29日っぽい。
・26日の昼には、三宅坂一帯だけが交通遮断してた模様。
ってことは朝に池袋から省線電車で新宿乗り換え、新宿線で新宿三丁目の叔母の家に寄って、そのまま新宿線で半蔵門で足止めな感じ?
・そういや半蔵門で誰何する写真があった。
すると…半蔵門駅あたりから歩こうとして、南御堀端警備は昼まで雪の上で仮眠してる安藤隊だから「あぶないから早く帰れ」って諭されるか、内務省へ兵隊さんに連れてって貰うかなー。

つまり。以下仮説。
s11年2月26日。朝、池袋出発・省線電車で新宿→市電新宿線で新宿三丁目の叔母の家→新宿線で半蔵門→半蔵門線桜田門まで乗継予定が半蔵門で通行止。
雪上仮眠中の歩三安藤隊に事情を話し、父親の勤務先(内務省)へ連れて行って貰う。
昼食べて給仕らと共に省を出る感じか。
安藤中隊長に「寒いとこ歩いて来たのに、市電止めててごめんなー。でもな、どうしてもやらなきゃならん仕事なんだよ」って頭撫でられて、図嚢から取り出した金平糖を貰う、とか妄想するじゃん。(こんなこと、ないです)

ついでに、参謀本部附少佐の従兵。原隊は歩一。
s11年2月26日2時。他隊で非常呼集があった事は知ってる。
早朝ざわざわしてる連隊から参本に行くも入れず。少佐の自宅に走って報告。少佐に従い憲兵本部へ。
翌27日に軍人会館の戒厳司令部へ移動。って感じかなー。

まあうん、なんとなくどんなかんじに人が動くのかな、って具体的に考えてみると楽しいし、地理・状況などがなんとなくわかってくるような気もする。


参考:日本鉄道旅行地図帳 5号 東京―全線・全駅・全廃線 (5) (新潮「旅」ムック) とか

タグ:陸軍
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