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2010年1月。本のことなど。近代東洋風俗は神クオリティ。

■古今東西ファッション史において。
一番オシャレかつ可愛くて格好良いと思ってるのは、洋の東西を問わず20世紀初頭だと思ってます。
あの時代は何をおいても奇跡すぎておる…と、クラシックスーツの人たちを眺めながら感慨深く。
東洋でも洋風と和風のカオスな書生服とか西洋風着こなしな旗袍とか…!

■三島の「憂国」を読まれる際、併せて磯部浅一の行動記と獄中手記のご一読を色んな意味でお薦めできないけどオススメする。
磯辺についての記述は『「道義的革命」の論理─磯部一等主計の遺書について』。
磯部の文は本当に熱すぎる(陛下をお叱り申しております、とか)のでいろんな意味で注意。
でも皇道派の良くも悪くも全てが解る気も。
獄中記これ

まあでも三島がいそべに傾倒するのは、色んな意味で解る気もする。
安藤中隊長とかクリコではなくて、あえての磯部ってとこが特に。
村中の丹心録は、ダイナミックでいろんなもの背負って熱さにあてられそうないそべと対照的に、インテリで冷静な村中個人の叫びで名文だなー。
だからちょっと違うんだろうな、三島的には。

そういや、美輪明宏が「貴方、いそべさん憑いてるから、祓ってあげましょうか?」って尋ねたら「いま筆がノッてるから良い」って返したんだっけ。どんな会話ww
素晴らしすぎる。そしてすごい人選んじゃったなー磯部!!
て言うか、三輪様はいそべを祓ってしまえるくらいの力があると言うのか…。
磯部エエエ…

■今川版『鉄人28号』の敷島博士。
敷島の怖いとこはさー、良い人全開で既に彼岸の人ってとこだなー。
「決して倒れることもなく死ぬこともなくただひたすら操縦者の意のまま戦い続ける無敵の兵士。海であろうが空であろうが、戦う場所を選ばない。勝利することのみを目的とした完全なる兵器、それこそが鉄人、鉄人28号!」
…名言すぎるw
だって自らが設計開発したロボットを、鉄人と戦ってぶっ壊されてる様を恍惚とした表情で眺めながら、歓喜の声で呟くんだぜー。素敵すぎるなーwww
これこそ科学の徒!!

たぶん、憑き物落としの中禅寺さんにも、敷島に憑いてるなにかは祓えない。
ビッグファイア博士はなー、どこまでも正気なので大丈夫だと思うけど。
博士への罵り言葉で、大塚署長が云った「あの性悪博士!」ってのが大好き。
だって性悪ってwww


タグ:つれづれ胡思乱想  文芸全般資料など
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  • 李連杰の黄飛鴻映画!!一作目。

    ■『黄飛鴻』91年香港
    ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明
    予告編


    主題歌PV

    波打ち際で武術修行とか格好良すぎる!!わたしこれ歌えるしw

    辮髪が似合う中国人で上位へ私的に食い込む李連杰。
    弁髪カッコいいよ辮髪。日本の月代に艶を見るけることができたら、次は弁髪だ。
    ホラかっこいい弁髪!!

    弁髪は男をイケメンに、より魅せると思うの…!!
    (西洋のpig tailも素敵なんだけど、やっぱり分類的には一緒じゃないよね…!別の魅力!)
    超難関試験受かった頭良い子たちが、わさわさ弁髪でいる宮廷とかもうなんなのー!だめだ興奮が抑えられない…!!
    ジェット・リーが日本に弁髪のエロかわいさかっこよさを布教したようなもんなので、辮髪=リンチェイは間違ってないと思うの!

    ■ロザムンド・クワンちょう美人!
    寳芝林が放火されるシーンで思ったんだけど、阿蘇が真のヒロインじゃねえかって思った。
    つか、火災現場を写真に収めたくてたまらない十三姨つえええww
    それに連杰かわいい!張学友もユンピョウも可愛いい!ていうか若いよ…!ジャッキーはわたし、キャストクレジット見るまで気づかなかったw
    出っ歯メガネで、インテリで英語も話せるのにドジっ子でみそっかすで、でも優しい子の牙擦蘇の役に似合いすぎる!!

    ■レストランで、フォークの意味がわかんなくて「なんで武器が食卓に?」とか思ってるフェイフォン可愛い…!
    牙擦蘇もそりゃ師父を守んなくちゃ!って思うよ!どっちも可愛い!
    お医者さんで、武術の達人で弟子から愛されすぎ、ってどんだけフィクションだ!って実在のモデル殆どそのままだから困るw

    ■何度見ても、寳芝林火災のあとで黄師父が「不平等条約」って書かれた扇子を拾って広げると、不のところだけ焼けてて「平等条約」になってるところは、お話の盛り上がりとして胸に来るものがあるなあ。
    焼け跡に皆でぐったり座ってる中で、体育座りでしょんぼりしてる阿蘇もかわいくて釘付けだけど!
    しかしなー西欧列強による強制的近代化は、日本の方がまだワンクッションあったわけで、やはりそのクッションのなかった中国のそれは直接的に人が死んで行ったわけだからなあ。

    ■それから。
    西洋人からなんの慈悲もなくためらいもなく、動物化何かのように撃たれ死んでゆく人を見て、柱に持たれて泣く阿蘇へ、一言だけ黄師父が「阿蘇――」って声掛けるシーンは、いつ見ても唇かみしめて胸が締め付けられるのに耐えざるを得ない。
    阿蘇は、人が踏みつけられ死ぬのを一番嫌ってる(医者兼武術家)黄飛鴻の心の代弁だろうな…。
    武芸の嗜みもない阿蘇を黄飛鴻が高評価するのは、単にインテリなだけじゃないと思うの。
    彼は、暴力を振るわれても怒らない弱さである優しさ=強さを持っているから。黄飛鴻と阿蘇は同じなのよな。
    英語を話し、米国生活してた阿蘇にとっては、西洋人が中国人を打つことに対して、単純に憤慨する問題じゃない。西洋のいいところ優れたところも知っている、という設定だから故に。
    越境者としての哀しみ、そして知識者としての懊悩が、彼には多重に追い詰められてる。
    だからこそ彼の感情が初めて爆発した涙を見た黄師父は、己を重ねたのかな、と。

    阿蘇が寳芝林を去ろうとした時止めなかったのは、彼が不平等という抑圧と暴力と死にまみれた場所からの逃げでないと感じてくれたから、じゃないかな。
    あの阿蘇が、「偽洋鬼子」の立場の人生と立ち向かうことを、彼の洋装と切った辮髪を渡されたことで、西洋へ敢えて立ち向かう決意を見たからだと思う。
    黄師父も「黄飛鴻」から逃げ出せないし人生だからな…。

    陳腐だろうがなんだろうが、阿蘇はあの時代の外国帰りの人間という背景があってなお、の人柄で、怒らない強さ=負の連鎖を悲しむことが出来る子。
    それに対し自分のやり方で立ち向かおうと決断したわけで、それはきちんと黄師父も理解出来てて、一番彼が気持ち的に師父に近いんじゃないかな、と云う妄想。

    ■なんだ、すっげー語ってるw阿蘇好きだもんww
    同じ立場の十三姨はまた…うん、強いおねえさんだよね。彼女も好きだけど!

    それから、全然違うけど、サモ・ハン・キンポーの女装、「白蛇成了肥蛇了」ひどいww
    中国人て結構女装ネタ多いよねー。
    ためらいもなく女装する人が多いしなー、おんらいとかおんらいとかw 
    「楊貴妃になりたかった男たち <衣服の妖怪>の文化誌」 (講談社選書メチエ)


    李連杰、短髪でもかわいいけどね!
    カッコ可愛いおっさんリンチェイ!ジェット・リーって英名すら可愛く見えるのは何故だ。
    歳とっても可愛い。でも実はジャッキー・チェンとの共演映画、まだ見てないww
    早く見なきゃねー。


    タグ:映画徒然
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  • 2009年12月。本のことなど。

    ■幾ら不謹慎な人間だと言われてもですね。
    今村栄治と黒島伝治と葉山嘉樹を一度読みした後の、心にのったりと暗惨たるコールタールが澱のように広がって貯まる気分の悪さをわかっていても読む行為をすることこそが、結局今の現代にいたるまであの時代から抜きってない証拠じゃないかと思うけど。
    老舎先生のもそんな感じよな。
    脱なんてナンセンス。なんてなー。

    あと、わたしは葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』は恋愛小説だと言い張る。
    そりゃテーマもスプラッタ性もホラー性もわかってるが、あの手紙はすごく好き!
    「私はどうして、あの人を送って行きましょう」
    「あなたも御用心なさいませ。さようなら」

    ■梅娘「僑民」は加筆補正版より、格段に初出雑誌版の方がエッセンスだけを凝縮してて名作と思うがそういうご時世だったから仕方ない。
    日本で働く中国人と、朝鮮人夫婦が阪急電鉄で乗り合わせる気まずい一瞬の話。
    現代でも十分通用する話。
    でも個人的にフェミとして読みたくない。階級・民族・時代性として読みたい。

    私の好きな女性作家は、たいてい長寿である。
    牛島春子も梅娘も上田トシ子も(まだ健在だが)山崎豊子も。男性に関しては結構ばらばら。なんでなんだろう。
    いや、たんなる偶然なんだろうけど。

    ■『金色夜叉』の間貫一はさ。
    あの優等生の絶望→ルサンチマンに陥って悪になってみるもなり切れず寝込んじゃうっつーダメっぷりが逆にばか愛しい。頑固だしさあw
    あれ、未完だからこそ良い気がするわー。
    …硯友社は紅葉先生だいすきクラブよな。
    (先生大好き度は根岸短歌会も木曜会も負けてないけど!)

    ■どこで読んだかうろ覚えだけど。
    病床の正岡子規を皆で囲んで談笑してたら、はとこだったかが帰るって席を立った時、はとこの着物の裾つかむわけですよ。のぼさん。
    「帰ってしまったら、その席が開いてしまうから、寂しいんじゃ。帰らんといて…!」
    って言ったってのが…!きゅんきゅんしすぎて死にそうだった…!
    アレの出典はどこだったか。

    ■【懐かしのメロディ】東海林太郎「国境の町」

    「一つ山越しゃ 他国の星が 凍りつくよな 国ざかい 」の雰囲気がすごく好きー。
    この「一つ山越しゃ他国の星が」という表現。
    近代になって満洲大陸に渡っていき、近代的(だって旧国あるからな)日本人が異国を感じるシンパシーであると思うと、すごく意味のある歌でゾクゾクする…!

    ■お、なんだ三重吉も池袋近くに住んでたんだー。
    赤い鳥クラスタは目白池袋か。
    どうでもいいが三重吉は漱石先生を情熱的に愛しすぎだと思います
    西池袋2丁目(狐塚)付近地図


    タグ:大陸中文文芸 文芸全般書 明治文壇 つれづれ胡思乱想
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  • つれづれ胡思乱想 2009年11月

    ■They shanghaied him.
    上海するっていうこの英単語は、近代における異郷幻想っつーオリエンタリズムとリアリズム、それからアメリカの現実をこれまで具体化した結晶はない英語だと思うのであります。
    シャンハイされる!インパクトある言葉だな。

    って「上海された男」の一文をついったで見たので思い出した。なつかしいなあ。
    牧逸馬というか林不忘というか谷譲次(踊る地平線すき)というか、ともかく彼は筆が多彩過ぎる。
    そもそも長谷川四兄弟のずば抜けた芸術センスと国際感覚は異常。もっと評価されるべき…!

    ■上海はズルイ街なのよ。20世紀魔都上海!
    掴み所のないベールを幾重にも纏った美女のオンとオフ全部って感じ。
    だらけた私生活のマイナス面をもミステリアスに変化させるような。

    ■谷穣次「踊る地平線」(新婚旅行の日本-ロンドン旅行レポ)を思い出す。
    そうかー戦前は東京から下関、そこから釜山までは船でそれ以外は全部「鉄道」でヨーロッパまで行けたんだよなあ。
    もう一つ船乗りゃロンドンまで!
    なんと戦前世界のインターナショナルなことか。


    ■相沢→豊太郎「ぜってえあの女、地雷女だからやめとけって!」的なこと、一度は書いたと思う。RT @xxx: 「舞姫」の授業で登場人物から登場人物に(例えば相沢から豊太郎にとか)手紙を書くというのがあるんだけど、どうしよう。

    しかし最近の高校は物凄い授業やなー。文章理解度と手紙マナーを一度に実践させるって、かなり…むずかしいな。

    しかしあの時代の親友同士宛の手紙は今の手紙よりもっと簡便でマナーも適当で現代のメール的だからそれを再現すると先生に怒られそうだし、郵政省も本気で早かったからなー…ww

    漱石と子規の、熱愛の新婚夫婦で呼び合うネタで往復書簡を思い出した。
    あれ、どっちがハニーでダーリンだっけ。バカすぎるww
    そんなのを運んだ郵便夫の方に心からの乙を。

    しかしまあ、国語で舞姫をやった時m「留学先で訳ありの可愛い現地の子に捕まって、舞い上がっちゃった親友を泥を被ってまで連れ戻す、相沢謙吉の保守的な友情物語」として読むと、相沢が一番シビアなのに友人のためを思って動くかっこいい奴じゃないか、と盛り上がった高校時代の思い出が。



    タグ:モダニズム 近代文学 明治文壇 正岡子規 つれづれ胡思乱想
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  • つれづれ胡思乱想

    ■のぼさんはさーもう、好きな作家を超えて「尊敬する人物」なんだよ。まじで。

    結核なのに枕元へみんな集まったりしてさ…。
    歌の才能はおろか、病室の小さな庭から無限の世界へ馳せる想像力、そして人望(いろんないみでの)…!
    人間くさいがっつり食欲がまた「ひと」なんだよな…!子規全集は宝物です。

    ■て言うか、明治の文系って熱いよね…(純粋文芸系の人でも)。
    根岸短歌会とか木曜会とか。
    でもわかるわー。のぼさんと金之助はアイドルよね…!!
    くそう、明治の男(東京在住・ある程度金のあって、文学なんかにかまけられるようなそこそこの家の次男あたり)に生まれれば…!!さいこーの勝ち組よな…わたし的に。

    ■でもまあ、そう考えると北原白秋せんせーはやっぱり大人だなーって思う。
    きちんと当時に「売れるもの」書いてるもんな。
    その上でクオリティは下げてないもん。時勢を見てる。
    どんなアホ歌(当時的にも、今の価値観でも)つくっても、詩としての鑑賞は耐えうる。
    仕事の出来るおとなって感じ。

    わたし大手拓次がすきです。色んな意味で。



    タグ:明治俳壇 正岡子規 近代詩
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