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三段論法で井上武彦『同行二人』

■NHKで『北京のイケメン警官』のドキュメントをやっていたことがあった。
確かに爽やか男前警官。でもソレ以上に、こ番組紹介の文から見るに「自分から、自分のやれることを自分の仕事において精一杯やる」姿勢がイケメンちゅーか男前なんだろなー。って思ったりり。

伝説になってプロパガンダに使われちゃってた雷峰の話だって、根本的には「自分のやれることを最大に、自分を弁えつつ人のためにする」ってことが大きいと思うのだけれど。
現実はその逆とか尾ひれついてるだろとか色々あるが、それでも責任感の大切さは変わらんし、日本の軍神だって今だからもっと評価されていい人多いよね。

軍神といえば佐久間艇長。
責任感に危機迫るものを感じる。
艇長の話を絡め、潜水艦の密室を舞台に、真珠湾の旧軍人のひとりがモデルの植物的な笑みを見せる青年少尉を観察する軍医視点で書いた、井上雄彦「同行二人」はなぜ復刊しないのか。(漸く本題)
三島由紀夫が「俺には書けない」って絶賛悔しがった名作だぜ!

戦闘する集団でも外部と隔絶された密室潜水艦で直面せざるを得ない「死」の概念を、野性の咆哮で対峙するか、観念として受け止めるかっていう対立心理劇も面白い。
少尉と艇付の二人の男の関係性も、対局と融合と二重性で二人が死を見つめる様を、美しい文体でうまく表現してて文学として秀逸すぎ。

少年じみててあわあわと植物的な坂田少尉のイメージ…草加拓海@かわぐちかいじ『ジパング』なんだよお。外見。四郎様もいい。とにかくアレ系。
(坂田少尉のモデル(あくまで人物設定のみ)は酒巻和男少尉。そこらもちょっと考えると興味深い感じ)
稲田二等兵曹は山中しかない。
あと、更に二人の暮らしをおはようからお休みまで見つめる軍医(主人公)は、米倉のイメージで。

原題は『死の武器』、直木賞59回候補作を改題したのが『同行二人―特殊潜航艇異聞』。
大佛次郎が「叙述が細密すぎて」って云うけど、ソレがいいんじゃないか…!
大佛先生、わかってない!!!!!




タグ:戦後文学
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  • 老舎『四世同堂』にみる否認。

    これまた書きなおす。

    ■老舎の「四世同堂」で。
    バリバリ北京人のリキシャ引きが、日本兵のふりして無賃乗車しようとした若いのを捕まえたとき。
    その軍装の若い男に「馬鹿野郎」と日本語で云われたのだが、その男の言葉は中国語のなまりで東北人の中国人と気づいた、と話すシーンがある。
    その北京っ子が「なんであいつは日本人になったんだ」って思った箇所は、端的に関内と関外満洲の人間の立場を表してる。

    尋ねられた相手(主人公格)はこう答える。
    「老人の東北人は永遠に中国人だ。でも学ぶのも読むのも聞くのも日本ばかりで、若い人間が変わらないでいられると思うか?誰も奴隷になりたいなんて思わない、でも毎日毎日何年もかけてずっと、『お前は中国人じゃない!』って言われるんだ、誰も堪えられないよ」
    しごく客観的。

    それは北京と満洲、って物理的な距離感が間民族から見て山海関から先の「満洲を遠ざけていること」。
    精神的な距離感も強化されてる背景と、まさか自分たちはそうならない、って否認(ディナイアル)状態に陥っているが故に都合の悪いことに目を瞑ってしまう人間を、すでに1944年に書かれてる。

    だから場所ごとに全く違うから難しいって話。
    「祁先生!那麽現在咱們的小學生,要是北平老屬日本人管著的話過個三年五載的,也會變了嗎?」 瑞宣還沒想到這一層。聽小崔這麽一問,他渾身的汗毛眼都忽然的一刺,腦中猛的“轟”了一下,頭上見了細汗!他扶住了墻,腿發軟!」
    は国語教科書に載せるべきや。

    どこの国の、いつの時代にだって言えることじゃないかしらん。

    だってさープロレタリア文学が思想変動と現実の世情変化で、本来持つ呪詛的威力が無くなったのと違うわけじゃん。
    植民地文学の中で提示されてきた「居心地の悪い同床異夢」の問題が解消されてない限り、過去のものとなり得んよなー。
    しかしながら過去となった時点で、人間は人間以外のものになってしまいそうな気も。あは。



    ■もう一つ関連して。
    数年前の長春で、たまたまバスの中で知り合った、御父上が満州国の役人だったおばあさんに「花」を歌って貰った。
    「でも隅田川の桜は見たことないの」って云われてマジ泣きした。
    もうひとり、大連の日本人学校に通ってた中国人のおじいさんと「わたしたち」を歌ったことがある。

    何が泣けたかって言うと、別にアレじゃなくって。
    ああそうか、当時子供だったこの人達にとって、当事者じゃない無関係の人間がくだらないことを思う前に、本当に青春というか子供のときの思い出であって、戦争や政治的なものの前に異文化が重なった生活があって生きてたんだ。
    とね、今更ながら当たり前だけど思ったんですよ…。
    おばあさんが想像してた隅田川ってどんなだろう、とふと思います。


    タグ:大陸中文文芸
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  • ひのせんせい!と老舎先生ノーベル賞のあの噂。

    ■大河ドラマあたりに火野葦平「陸軍」をぜひNHKでやっていただきたいなー。
    龍馬伝・坂の上の雲・あとお得意の15年戦争あたりまで確りカバーしてるから、小道具使い回し放題。
    ドラマ的にも一族3代にわたっての農民→陸軍人一家から「日本」を考えるってスペクタクルだろ!と思うんだけどな。
    ていうか【読んだこともないくせにレッテル貼られてしまう作家】の上位に食い込むと思う、火野葦平。
    麦と兵隊は、どう読んでも反戦小説。特にラスト。
    小説は初版発行が終戦5日前でしたが結局売れたかは謎…。
    ★関連:国立国会図書館 第135回常設展示 戦時下の出版

    「陸軍」も当時木下惠介監督による映画が陸軍省予算で出てたのに「出征する息子をおくる母の描写が反戦的」ってことで、この母親のシーンが原因で封切直後に上映打切りになったしさー。現代だからこその、要再考察の作家だと思うの。

    まあ結局、作品と云うものは時代による影響に物凄く受けやすい(それは今も昔も変わらない)っつー意味で、私はそれを理性と云う意味での「声無哀楽論」の応用だと思ってるんだけど。当たり前のことだけど、難しいよなー。自分自身含めて。

    どうでもいいけど、冬コミで買いまくってきた本の中で自ジャンルの京極を除き、群を抜いてジャンルとして多いのは社会主義ジャンルでしたwギロチン社本とか。 荒畑寒村自伝を読もうと決意。その次に226ジャンル…統制派皇道派どっちもバランスよくw 今回はミリタリ系回れなかったからそんな感じ

    火野葦平の著作権が今年の一月で切れることを教えて貰った(1960年1月自殺)。
    誰かが「現代の作家は自殺をしないからいかん」とか、とんでもない事言ってたなー。

    ■自殺といえば(言えばってあんま宜しくないアレですけど)
    あえて老舎の話をすればですね。
    ノーベル賞選考経過資料の守秘義務が切れる2016年を、注目しておる感じです。
    老舎の代わりに川端、って噂をね。
    そうであっても興味深いし、違っていても何故噂が「老舎」だったのか。
    でもまじで老舎はノーベル賞をとってもおかしくない。人道主義と、言う意味では川端よりもね。


    タグ:火野葦平 陸軍 大陸中文文芸
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  • 【思い出すことなど】特殊潜航艇の小説とか精神障害兵士の研究書

    ■好きな作品とか気になった資料のもぞもぞ。
    ・井上武彦『同行二人―特殊潜航艇異聞』
    ・清水寛編『日本帝国陸軍と精神障害兵士』

    ■2009年の12月6日のNHKスペシャル「真珠湾の謎~悲劇の特殊潜航艇~」かー!

    特殊潜航艇艇・九軍神に入っていない少尉と言えば酒巻和男少尉。
    その彼の立場をモチーフ(あくまでモチーフ)にした名作がございます。

    井上武彦『同行二人―特殊潜航艇異聞』(雄彦じゃないよ!)
    三島由紀夫が大絶賛で悔しがった名作。
    確かにこれは三島由紀夫が「自分の書きたいことを全部書かれた」って悔しがるわ。だって三島には書けないもの。

    真珠湾攻撃の特殊潜航艇を積んだ伊号潜水艦が呉から出港する。
    絶対に生きて帰れない特別攻撃命令を受けた、植物的な美形士官・坂田少尉と、無骨な下士官・稲田兵曹長との濃密な関係を、同じ艦に乗艦している【死に見せらせた人間は美し】くて観察対象にする、そんな軍医長の『私』が観察する話。
    彼らは自分らが乗りこむ潜水艇を「坊や」と呼んで愛でるんだよー。
    軍医は彼らの関係を妄想するの物凄い。軍医自身も『戦争行為』や『特別攻撃する人間が身近にいる』『死ぬこと』などを、戦闘が近づくにつれて艦内がざわめく空気を感じつつ。

    静かな精神世界と宗教(仏教)に関する話なので、一般的な戦争文学ではないけど、張り詰めた海軍人の雰囲気が素晴らしい。ここでの宗教は、浄土真宗高田派を信心する

    正直、この作品はもっと評価されて良い作品。三重県と言う真宗高田派の多い地域から出た地方文学としても、真珠湾攻撃ものの戦争文学としても戦後純文学としてもそれぞれ大きな意味を持つ高クオリティ。 
    http://bit.ly/6hiy9g

    ■このNHKスペシャルの裏、教育ではETV特集「障害者たちの戦争」!
    なぜ分散させてくれなんだ…!

    ということで、精神障害兵士に関する書。
    清水寛編 『病床日誌』
     http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA80920047
    こちらはまだ未読なので、同じ編者のものを。

    清水寛編『日本帝国陸軍と精神障害兵士』
    http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA81499356
    実際の兵士の症例が載っていて、満州駐留時に脱走して満州国軍の中国人兵舎で保護されて漸く皆が認識したとか、内務班でバカ扱いされて不当に扱われてたとか、発見された人は幸運な方で、やはり『負担』とされた人は多そう…。
    結局、兵隊を送り出す杜撰なノルマや当時の精神障害に関する知識の乏しさと障害者の社会的地位の低さ、なにより国家総力戦になったときの切羽詰り感がなあ…。
    あと彼らをも兵士と看做した『認識』も、単なる精神論だけでは言えぬ気がしてきた。
    別の本で読んだっけ。
    知能障害の息子が兵役に受かった(昔はままあった。まず身体で判断するから)とき。
    ああやっと息子が一人前と認められたんだ!って親が泣いて嬉しがったって言う。
    誰にとっても得じゃないのにね…。
    それでも親御さんの気持ちは判る。分かるからこそ悲劇やな。


    タグ:近代全般書 文芸全般書 陸軍
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